大学で情報系を学んでいたわけではありません
まず私の出身ですが、関西で生まれ、関西で育ちました。引っ越しは色々としていますが、今も関西に在住しています。
大学も関西でしたが、情報系の学部ではなく、文系の学部です。
元々PCについては興味があり、情報系の授業も履修科目で取ってはいましたが、就活当初はSEになるつもりがありませんでした。
商社への就活がうまくいかず、IT業界へ
大学3年生の終わり頃から企業説明会を受けたり、4年生に入れば実際に面接を受けると思いますが、当初私は商社をメインに受けていました。海外をまたにかけるビジネスマンがカッコよく見えたからです。英語も、それなりに勉強していましたしね。
しかし、面接までは辿り着けても、ほぼ一次面接落ちでした。向いていないと判断されたんでしょうね。
今思えば、落として頂いて感謝です。万が一受かっていたとしても、商社マンとしてはやっていけなかったでしょう。
そこで、ITにも興味があったので、ある有名なSIerについても面接を受けました。すると、あっという間に内定が出たのです。
条件も良かったので、私はそこに入社を決めました。
SIerとして悪戦苦闘の日々、そして転勤
私は関西の配属でした。地元から通え、さらに周囲の人もいい人ばかりで、そういう意味ではストレスはありませんでしたが、仕事はかなりきつかったです。
特に、大規模基幹システムを保守していたので、休日、夜間問わずにかかってくる電話は非常にしんどいものがありました。もちろん、私が未熟だったこともありますが、保守のストレスはかなりのものでした。
当時、金融のシステムを担当していましたが、金融のシステムは24時間365日稼働していますからね・・・。
そこで、会社から転勤を命じられます。まだ20代ということもあり、悩みましたが、やはり辞令を受け入れるしかありませんでした。
ただ、ストレス耐性が(少しは)身についたこと、また、基本情報技術者、応用情報技術者を若手の間に取らされたことは良かったかなと思っております。
基本情報は1年目、応用情報は2年目で取りました。
SIerを退職して関西に帰還、製造業の社内SEへ
あまり詳しくは書けないのですが、会社に居ながら関西に戻るのは至難の業でした。期限つきの転勤というわけではなかったため、基本的に戻ろうと思うと辞めなければいけません。
あと30余年、ずっと地元に帰れないというのは嫌だったため、私は退職を決意します。
そして、関西に戻り、とある製造業の社内SEになりました。
せっかく転職するなら、保守や納期に悩まされるSIerに再び就くのではなく、社内SEに興味があったので、縁あって今の会社に採用してもらいました。
現在の会社で、システムアーキテクトの資格も取ることができました。とはいえ、IT企業ではないので、資格報奨金だが出たりだとか、給料に反映されたりはしないのですが、自己研鑽で取って良かったと思っています。
合格体験記を見たい人はこちらの記事に書いています。
社内SEでのびのびとさせて頂いています
SIerと社内SE、どちらも一長一短ありますが、社内SEは社内の開発が仕事のメインになるため、納期調整もしやすく、私としてはストレスは少ないです。
今は、のびのびとお仕事をさせて頂いております。